炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ヤマの救済法 其の1(祭文語り)
昭和39~42年頃

明治三十年頃より(ヤマの救済法)其の一

昭和 までヤマには福祉施設はなかった 公傷なれば坑主がある程度救済するが 一家の大黒柱 亭主が病臥すると 惨めなものであった。納屋頭は貧乏人が多いから結局会社から借金するが それも限度がある。これは直轄坑夫も同じ。よってヤマの有志家カオヤクが奔走して義金を集める。奉加帳をして慈善金集めもあるが、この様に芸人により御花義金もある。当時有名な祭文(サイモン)語り 直方の(サエモン)安平さん、の実演である。節は突切ぶしと言う一風変わったオ(ウ)カレブシであった。右手に25㌢位のシヤクジョウ(先に小形のハート型付)を打ぶってリン、リン、リン、としみいる様なリズムを出し下顎をガクガク揺かしての口演であった。(サエモンカタリは飯塚に一本舎がおり赤坂にもおった)
安平さんのオバコ(十八番)は当時流行の大閤記と 赤穂義士伝であった。三味線のアイカタもおる
安平さんのマクラの一節 (落ちて重なる―おちてかさなる―)コレを二十回位クリかえす 最後に(牛のくそ―)


御花は現金の倍額を記入する。人物により三倍にもかきこむ事もある。場所は大納屋の独身者広間でやる、採炭休業前夜を計らう。行なう、

<<前の記録画  次の記録画>>

<<前の10件 111213141516171819|20| 次の10件>>

20/33