炭坑記録画の数々
坑内労働(採炭)

立ち掘り
昭和42年2月

明治中期の採炭夫。先山・後山、一先(先山1人と後山1人の2人1組)・サシ(2人1組)、二人組の事。
 炭丈(スミタケ)が1.50m以上あれば、立ち掘りができる。軟らかい部分を透かして掘るが、なるべく中を深く透かしこむほうが段取りがよい。60センチ余り透かして、下は盤石を打ち上げ、次に上はツリ石を叩き落とす。
 切羽面にボタを挟んでいないのをキリタオシと言って、坑主(炭坑経営者)のドル箱である。筑豊のヤマは、ボタを含んでいる所が多い。もっとも、低層炭はホンスばかりであるが、量は少ない。昔は天井や盤にボタを含み、粉炭層は残していた。
 切羽を平面に採掘することをツラドリと言って、アラトコ切羽では、能率があがらない。いわゆる、軽働多産・重働少産で、巧拙(上手下手)の差はとても大きい。

 先山は右ききでも、左でツルバシを使わねば一人前ではない。

 明治三十二年頃、一函切賃20銭、堅い所は25銭だった。サシ(2人1組)で5、6函位。勘引が2合以上。あがり賞与(奨励金)が1割つくから1合引き(見込出炭)となる。白米1升10銭、沢庵(コンコン)1本1銭、サツマイモ1斤1銭5厘の時代。



※ツリ石  吊石、吊岩。天井に食い込んでぶらさがっている岩。
※ホンス  本層。石炭、岩などのいくつかの層が重なっている中で、主要となる炭層。
※切羽   石炭採掘現場。
※アラトコ 新床。未着手の炭層。
※勘引   検炭してボタなどの量に対し歩引を行うこと。

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