炭坑記録画の数々
墨絵

むかしヤマの人びと1(夫婦入坑)
昭和33~38年頃

 明治中期頃の入坑姿。
 先山、后山、そろって入坑するのは、子なし夫婦か親子か または他人と組みし一先であった。
入坑時間は三時ときめてあったが、当時は皆それより早目に(坑内に)さがっていた。(午前0時頃はザラ)
お互いに競走気分もあり一凾でも多く速く掘出すのに大童であったし。
(ネマリハコトリ)意地悪い者は前日乙方(二番方)の残り空凾を何凾でも一人でとり、他人にゆるらず(ゆずらず)、倒し凾して一日かかりで積む非道な者もおった。そのため、ネセバコで凾ナグレもする。独占するなといえばケンカになる。従って凾ケンカが多かった、わけ。
〽 あなた一番 わしや二番方― あがり さがりで 逢うばかり―
      ドッコイ ドッコイ

*一先  二人一組。作業の1単位
*乙方(二番方)  昼夜勤務(12時間交代)時は昼間勤務者を一番方(甲方)、夜間勤務者を二番方(乙方)といった。昼夜三交代(8時間交代)になると、三番方(丙方)まである。
*凾ナグレ  事故などで炭車(凾)が不足してしまうこと

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