炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ヤマの燃料(七輪)
昭和40年6月

ヤマの燃料4   方言(ヒチリン)(キサマは悪口)

 A夫婦共稼ぎの者は硬石拾いもできず 坑内からナマイシを持ちあがって油缶の上を少し切りとった速成ヒチリンに燃やす。それがもえきれず、まだ煙りの出ておるのを屋内に持込む。サアー大変隣りや裏が2㍍位の土壁で仕切ってあるだけ天井はツツヌケ 煙は一棟内を渦巻ヤカマシク言うとケンカになる。オイドンはキサマダチの様に遊んでガラを作っておるんじやねーぞ。九尺、二間ケンの棟割長屋(ナヤ)屋根には小板、高級で藁ぶき。
B(ハカタ、ヒチリン、)白色、土製でワレやすい。クチにはフタもない、さげてもない。この外はカンテラ屋に頼んでブリキのヒチリンを造ってもらう。明治三十年代鋳物製の格子形(アミメ)ゴトクが流行しヤマ以外にも見うけた。これは暖たかいがガラが多くいるのと灰ホコリの立つのが欠点であった。ヤマには大ナヤは別として小ナヤにはイロリはなかった。四畳半では作れずユカも割竹をワラ繩でアンデあるからイロリ、や掘コタツはできない(掘コタツは全然なかった)

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