炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

納屋頭領
昭和39~42年頃

納屋頭領(中には繰込みもせず キンサキだけ とる怠け者もおった。)

明治  大納屋で人繰や勘場を使うておるのは大ヤマの事で中小ヤマの頭領は自ら一人で切まわす者が多かった。中には飯場や小ナヤ(配下坑夫)の若いものが前夕伝票配りをしておった位であった。これらのナヤ頭は午前二時すぎから小ナヤを繰込みにまわる 何れのヤマも午前三時が入坑時ときめてあったから 汽笛三声の時報はあるが、それから起床では マにあわぬ。当時の坑夫で時計を持っておるものは全然おらず明治後期にはチラホラ玉振り時計が見えていた、トケイ四十年頃最下級品でも三円五十銭もするから容易に買えなかった。ヤマ人は飯を夕方炊いて 朝は冷飯茶ズケでガサガサかきこみ入坑者が多かった。沢庵香々一本一銭五厘二銭、白米一、四㌔三等米(トウガイ)十六銭、
(~おきて飯喰えコンコンそえて、坑内さがるもたべる(くらう)ためーゴットン)

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