炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

キップ
昭和40年4月

 昔のヤマ人のキップ。大正六年頃まで坑夫を悩ました、切符(キップ、炭券)。もっとも、ギンセンヤマもあった。それは政府のヤマ(官営)か大手の大ヤマで、雨夜の星くらいもなかった。
 A系坑(麻生系)のキップは、(五厘五斤)、一銭、五銭、五十銭、一円、千斤と額があり、明治後期に二銭二十斤、二十銭二百斤が増発された。いずれもキップの中央に、坑主の定紋をいれてあったが、中には文字だけの粗末なものもあった。
 住友忠隈炭坑、中野相田坑のキップは飯塚にも通用するので評判がよく、その反面、仁保炭坑のキップは、目を引けば(割引きすると)なくなるとの噂が高かった。よって、眼球の太い人を仁保キップと言っていた。

 ヤマの近くにはこのキップを目がえして、暴利を貪る(むさぼる)輩がおった。それにペコペコ頭をさげて、何割も目銭を出して相談する者が多かった。夜の非常時など。



※切符、炭券  炭坑経営者が発行する私製切符。
※ギンセンヤマ 現銭山。賃金を現金で支払う炭坑。
※目がえ    現金と両替すること。
※目銭     両替賃。

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