炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ヤマの燃料(拾い炭)
昭和40年6月

ヤマの燃料②拾い炭(ナヤからナヤの空地で石殻やきをする。)
 昭和になってビラミッド式の硬ボタ山になったが それまでは平(ヒラ)ウチであった 中以上のヤマには高所にマキ機を据えて低地や谷を埋めておる処もあった 又(マタ)ボタ捨場を利用してナヤ住宅など建てヽいた。そのボタ捨場に混炭拾いが盛んであった。入坑せぬ家族の主婦や子供の日課であった。ヒラウチ(方言)でも相当に高い処もあるから危険もあるが人事係(取締)も咎めはしなかった。ガラ難が深刻であったからである。石炭の外カマガスの中からもえ残りのガラを拾うものもおった。

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