炭坑記録画の数々
ヤマの子どもたち
ツルハシ運び ランプの掃除
昭和39~42年頃
大手のヤマは知らないが、明治四十一年初夏の頃、K坑(麻生上三緒坑)に電灯がついた。麻生系の炭坑では初めてで、皆喜んだ。まして子供は踊って喜んだ。それは、苦手なランプ掃除から解放されたからである。ダイナモ(発電機)はK坑だけの電灯用で、小型であった。坑夫納屋には内線が二つある。五燭であるがランプより明るく、火災の危険もないので、文明の余光に感激した。
その翌年の明治四十二年には、福岡市で電車線路ができており、ほとんど完成していた。都会と田舎の差は甚大である。
据えランプは台が六〇㌢以上の高さ。大納屋か炭坑の上級幹部ぐらいの家にあった。
ヤマの子供の日課は、毎夕方に鍛冶屋(坑口にある)から鶴嘴(ツルバシ)を自宅に運ぶこと。素焼(穂先を直す)が、一丁に五厘鋼(はがね)をつけて二銭五厘から三銭かかる。
次はランプの掃除。ホヤを磨くだけではいけない。下部の網目がふさがると、明るくもなるが火災の恐れもあり。また、油の補給も二日に一度しないといけない。
※五燭 明るさの単位の一つ。
※ホヤ ランプで灯火を囲むガラスの筒。
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