炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

飲料水(担い桶の行列)
昭和40年5月

昔のヤマ 飲料水 担桶タゴの行列

米に埋まっていても 水がなければやがて冥土に旅立する人間。否總ての動物のかなしさー。A系K坑は明治廿八年にシバハグリ(開坑)した時。削りとった山肌より湧水があってヤマ人の生命を確保していた。ヤマの近くに井戸もなく掘っても出水がない村堺いの杉山に井戸はあったが距離は一キロもありその水はカナケで飲めず。しかし前記の湧水も雨季の間はヤマ全員をマカナウ量があったが枯渇季になると馬の小便位しか出らないのでそれはそれは目薬の様に大切に使うていた。順番に担桶(タゴ)を竝べて一日一戸一荷又一荷半であった。やうやく一荷もらえた。
夏はタゴが乾燥イダクので時々水をやる シメさねば ならぬ大変であった。

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