炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

転宅
昭和39~42年頃

 明治時代の転宅(ヤオツリ、ヤマカエ)。小ヤマほど移動が激しかった。家財一式一荷持っていくのは、心がけのよい坑夫である。(北国の雷でキタナリの人が多かった)それでも、相当の肩入金(銀)や有付金が出る。
 中小ヤマには、布団、蚊帳、鶴嘴(つるばし)などを賃貸する業者もおり、また大納屋からも賃貸しをする。賃貸しをしない所は、金を出し替えて月賦で引くヤマもあった。布団、蚊帳は一ヶ月三十銭くらい、鶴嘴は消耗が激しいから同額であった。(煙突目当てに行けば、米の飯と太陽さまがついてくると皆言っていた)
 当時、羽釜坑夫(尻のすわらぬ坑夫)が多かったワケである。

カゴのさげおはセナカゴ式



※北国の雷でキタナリ 着のみ着のままの意。北国では雷が北の方で鳴ることから、「北鳴り(きたなり)」と「着たなり」をかけている。
※肩入金  保証金。
※有付金  前貸金、契約金。

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