炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ガメツキ
昭和40年3月

昔のヤマ人、 就職口を探す事をガメツキと言い。金策に奔走する事をツボツキという。

オーイよか ガメが突けたかい、こんな(挨拶あいさつ)をときどきヤマできかされた。昔の単丁切羽は好条件のときは エビス顔で調子もよいが、悪条件になる直ちに腰が浮く。われがちに他のヤマにガメツキに行く おもに知人をたよるが 新坑にあこがれるクセが強かった それは新しいヤマは相当の赤字覚悟で坑夫を募集していたからである。


明治時代 ガメツキ姿は縞の着物を尻からげ す足に草鞋ワラジ。冬はネルのモモヒキ、パッチ 又は紐付ズボンした、紺のアツシ、か鉄砲袖。縞の木綿は一反一円以下であったが 絣りは 二円以上であった 下着はネルの手縫い 手首ボタンつき えりは 折えりではなかった。

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