炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ヤマの救済法 其の3(頼母子講)
昭和39~42年頃

明治 大正 ヤマ・救助法 三

貧困者救助法として賴母子タノモシ講を作る事もあった。勿論本人には掛金はさせない。同情講である。何十名かで組織してまとまった金を恵むのであった。当時のヤマ人はセリ講などはしない、入札(オトシ)講、汽車講は商人などのするもの。スベテ抽籤式で当選者は次回から一割10%位の金を掛け増す。クジ引く前にブラリと言う花クジをひかせる 最高五十銭より五銭位まで全員にカケ金奨励のために実行する。 (講座)と言う本クジは紙コヨリで一本多く作り残り天狗又は先天狗と称して その番号から次番が当りで第三番にはアシと言うて若干の金を与える。つまり残念賞である。一回の掛金は最大一円で大がいその以下で月に一回又は二回 十五日サンニョウのヤマは2回 当時の一円は大金であった。
当籤者が金の必要ないときは他人に譲る その場合は一の掛金だけをお礼に出す。尚金を受取るにも二人以上の保証人がいる。大正末には講友を五名づつ位に組を作り連帶借用保証人式にしていた。
私傷病者でない貧困者にも講座を作る事がある、この場合は本人が初一回だけで后は終局まで掛金することになっておる(いた)。

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