炭坑記録画の数々
世相あれこれ

天長節
昭和40年12月

 明治四十三年十一月三日、天長節。(日鉄中央炭鉱での)親方日の丸の豪華な祝賀。今の飯塚市外の日鉄中央炭鉱(昭和十三年一月より日鉄鉱業所)は、当時(官営)八幡製鉄所二瀬出張所であった。五十年計画で開坑した新しいヤマの宣伝もあったと思われるが、その祝いの大規模な賑わいは、嘉飯地区(嘉穂郡および飯塚市)の人々の度肝(どぎも)を抜いた。
幾多とりどりの飾り人形の中で、加藤清正の虎退治は特に大衆の目をひいた。清正の背丈は二十尺(約6㍍)余り。虎もそれぐらいの体長で、眼球に百燭の電灯が入れてあり、夜も美しかった。清正が槍を突き出せば、虎が立ちあがって咆哮(ほうこう)する。その叫声は六㌔も隔てた上三緒坑まで響き、大評判となった。当時(この虎の叫声のような)電気サイレンを知らないヤマの人たちは、押すな押すなの人びとの山を作った。
 翌四十四年も相当賑わったが、これほどではなかった。四十五年は大正となって中止。
 (明治43年は)筑豊のヤマの祝賀(天長節)の大記録であり、前代未聞の奉祝王(だった)。

蛇足 実物の清正の兜は三尺(90㌢)あり、紙は渋ぬり。槍は鉄柄で百斤(六〇㌔)あったらしい。




※天長節 天皇誕生日。
※百燭  燭は明るさの単位の一つ。
※奉祝王 一番大きなお祝いという意味。

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