炭坑記録画の数々
世相あれこれ

ヤマの評判もの(日清戦争 朝鮮平壌攻撃)
昭和41年7月

(冬は黒服、夏は白服の日本陸軍。この戦いは九月十五日。よって(冬服か夏服かは)不明で描いた(朝鮮の気候は知らないまま)。昔の尋常小学三年の読本に、原田重吉の門破りの絵もあったが、黒服の様に見えていた。明治三三年頃)
 明治二十七年九月十五日、朝鮮平壌攻撃。元山支隊々長・佐藤大佐の指揮下、中隊長・三村茂太郎中尉が率いる十六名の決死隊。原田重吉一等卒が玄武門を破った。その勲、その名誉は日本全国に伝わり、大評判となっていた(戦争話題)。日清戦争の戦功者No.1であった。
しかし、これは日露戦争までのこと。(日露戦争がはじまる明治)三十六年頃までは、ヨチヨチ歩きの童子でも「ハラダジュウキチ」の門破り、と片言ながら言っていたくらいであった。(当時、銃剣の尖りは両刃であった)

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