炭坑記録画の数々
世相あれこれ

奉公炭の登場
昭和40年8月

昭和十八年六月二十四日より奉公炭の登場。入坑者は必ず一人一キロ以上の石炭を持って昇坑する事になった。(福岡鉱山監督省)指令。国民精神総動員下、愛国心昂揚にはなるが、小ヤマには無理であった。それは単丁切羽が多く、こぼれた炭がないから、拾うところがない。それでも手ブラ(もたず)にあがると、日本人でないように思われるので(持ってあがる石炭を)探すのに一苦労。採炭夫はお手のものだが、他の坑夫や臨時入坑者は保安炭柱をウワメくる(盗掘)するやら、ズルイ者はマキタテにある実函(ミバコ)の塊炭を引抜いてあがる人もおった。(戦時中のため)空腹地獄、食料不足の最中、重労働の果て疲れた身に、あがり土産は、日本精神涵養(かんよう)のためとはいえ無駄骨であり、矛盾の極であった。
 奉公炭は(奉公炭の販売益で)軍用飛行機になる。炭坑報国号、ヤマの愛国号の献納が目的であった。
 坑口近くに事務所があり、その前に一㌧入りぐらいの底ナシ函あり。この先山はワザワザ大塊アラグレを作ってかついであがっておる。こんな男もおった。愛国心ナンバーワン。銃後の責任を果たすのは今じや−。







※国民精神総動員  内閣が昭和12年9月から行った政策・活動の一つで、国家のために自己を犠牲にして尽す国民の精神(滅私奉公)を推進した運動。
※マキタテ  捲立。捲卸から片盤曲片への入口で、空函を実函に連結しかえて捲き上げる場所。
※実函    石炭を積んだ炭車。
※大塊アラグレ 形の整わない荒けずりの大きな塊の石炭。

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