炭坑記録画の数々
排水、通気

筑豊のヤマの蒸気ポンプ
昭和42年3月

 明治、大正時代の筑豊のヤマで、蒸気ポンプのナンバーワン(デカイ超大型)は、福岡県嘉穂郡穂波村(現飯塚市)住友忠隈炭坑の坑内坪下(第一段)にあった。シリンダーピストンは径七〇吋(インチ、約一.七五㍍)、二百立方(㎥)ぐらいの(水を)安々と排水していたという。これは大正後期のことで、昭和時代にも使用していたかは、私は知らない。
 
 ボイラーは高圧でないと駄目。嘉飯地区で最も多量に蒸気を使っているヤマは、忠隈と上三緒坑であると評判だった。方言でジョキ(蒸気)がカタイといっていた。両坑とも舶来釜という外国製(ドイツ)のボイラーを数台据えていた。国産でも水管式(ボイラー)には高圧のものもあった。明治四十年以降。

 スチーム(蒸気)ポンプで最大強力なのは、このウォーシントン・ポンプである。(強力であるのは)ダブル式であり、メインロッドで自動的にスライドバルブを開閉するからである。坑外では高圧ボイラーの補給送水用などに(このポンプを)使う。ダブルピストン。

 忠隈坑は、明治二十七年、麻生氏より住友が買収し、嘉穂郡NO1の大ヤマになった。昭和三十九年閉山。





※坪下  竪坑の坑底。
※嘉飯地区 現在の飯塚市、嘉麻市、嘉穂郡。
※ジョキがカタイ 蒸気が硬い。蒸気が高圧であることをいう。

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