炭坑記録画の数々
排水、通気

排気塔
昭和40年2月

 明治時代からの排気塔。木材で幅六尺(約一.八㍍)角、高さ約十五㍍(の排気塔が)A系S坑(麻生山内坑のもの)で、(これは)他のヤマにもない大型であった。ヤマによって排気卸口を竪坑にしている所もあった。または、山の傾斜を応用しているものもあった。(ガスの多いヤマでは、明治後期に扇風機を据えているヤマはあったが、それはわずかであった。(扇風機の)エンジンもコンパウンド(複合)式ではなく、普通のダブルエンジンであった。大正になってコンパウンドエンジンを据えている中ヤマもできた。)
(この排気塔は)(明治三十八年九月の台風で倒壊し、その後再建した。この排気筒は(死者を弔う塔を連想するため)塔の字を嫌うから記さない)(小型煙突を二本つくる百人以上のヤマもあった)

 クランクピンには、遠心回転作用のセントリフュウガリ、リュウブリケーター(油差し)を大正初めより使用。ガバナ(回転調整機)は明治からあった。コットン(綿)ロープが数本ベルトになっている。

 明治二十九年にシバハグリして、明治四十三年に閉坑した旧山内坑は、今の麻生農園で、田川・飯塚バス国道(の付近である)。その南方にある現今の山内坑は、明治二十八年頃開坑したが、水に鉄分が多く、排水困難で(採炭を)中止していたのを、明治四十一年頃再開した。






※排気卸口 坑内の通気を目的に掘削された排気坑道の坑口。
※シバハグリ 炭坑の開削工事に着手すること。

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