炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

ヤマ人と燃料(ガラ焼場)
昭和39~42年頃

明治 ヤマ人と燃料①
炭を掘り出すヤマ人が燃料難とはチトききとりにくいが、それは大正八年頃まで微粉ガラの製造法を知らなかったか、又は微粉がなかった、為か、石殻は必ず粉炭では、できないものとなっていた、ヨッテ二号炭でガラを作っていたが その二号炭は主としてボイラーに(カマ)炊くからガラ炭にまではまわす 量がない。坑主(会社)はヤリクリして時々配給するが充分に炊く程ゆきわたらない、不足がちであった。ガラ焼場はナヤより離れておる ボタガラは重い 女子供には重仂。

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