炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

夫婦共稼ぎ
昭和39~42年頃

明治三十年代 又それ以前
夫婦共稼ぎ一日の仕事をヒトカタが終り昇坑するや亭主先山は直ちに入浴炭塵を洗落してアガリ酒(晩酌)に大趺坐アグラ。女房后山は入浴もハヤ目(ソコソコ)に 飲仕度から炊事に大わらわ、子供のおる家は尚多忙。ヒトサキ二人組は 夫婦、親子、兄弟、姉妹、これをウチウチと言い 他人と組むのは方言でなく 他人先山。他人后山(ムキ)。と言う。三人組は三人モヤイ。四人はフタサキ。何れも先山が60%位仂くわけで権利も強い。

~いしはチョンかんでも 時間さえたてばー あがりや 二合半が 腕まくりー
ゴットン

屋根は小板(ヘキ)葺 九尺、二ケンの棟割 タヽミ四帖半土間三、九尺 押入ナシ 天井ナシ

当時棕梠(ショロ)のカメノコタワシはない 竹を細く割った茶栓(チャセン) 又は縄ソーダ(タワシ)其他瓦のワレなど

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