炭坑記録画の数々
ヤマの暮らし

入坑(母子)
昭和39~42年頃

 明治、三十二年頃。白米一升(1.4キロ)十銭の時代。亭主の先山は一足先に入坑し、切羽(採掘現場)に挑んでいる(採炭)。女房である後山は家事のあと始末をして、幼い十才未満の倅に幼児を背負わせ、四人分の弁当、茶ガメ(ブリキ製、水筒)、炭札、カルイを振り分けて担ぎ、自分も滑らず、後ろの子供も転ばぬように気を配りつつ、坑道をさがり行く。この場合、大人が幼児をおんぶすれば安全だが、何分坑道が低いので、幼児が頭を天井に打ちつけることになる。
 他人に幼児を預けると十銭、ほかに使銭が三、五銭いるから経済的に大変。よって、兄が幼児の面倒を見るから、学校はたびたび欠席するワケであった。
 明治末期には、中ヤマ以上に預児院こと託児所を設備している所もチラホラあった。

~七ツ八ツからカンテラ提げて 坑内さがるも 親のばち— ゴットン



※炭札  炭票。坑内で積んだ炭車が誰のものか明らかにするために取り付ける札。
※カルイ 石炭を運ぶ木箱に使用する引綱。

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