炭坑記録画の数々
坑内労働(仕繰)

硬輪子積
昭和40年2月

 昭和初期、ボタ(硬)ワコヅミ(輪子積)。直径1.50㍍くらいの(孟宗)竹の環に、ナル木を中の縁に並べ打ち、大ボタを外、小ボタを中に詰める。日鉄稲築坑(ではよくやっていた)。
 これは、ボタコヅミより速くできて強い。もっとも、ナル木や竹の資材はいるが、ボタの少ない切羽には適当であった。

 昭和三年、七月一日から全国の工場、鉱山の安全週間が開始され、稲築坑には防災団が誕生し、安全服装に身を固めることになった。安全帽、クロガネ服上下、脚絆(きゃはん)、地下足袋、手袋など(の着用が義務付けられ)、裸作業はまかりならない。炭坑の規則が厳しくなった。

 昭和八年から女坑夫の入坑が完全に禁止となったが、稲築坑は昭和六年十二月に禁止した。よって、この作業の頃まで(稲築坑には)女坑夫はいたが、絵は男ばかりにした。大手ヤマは(坑道が)深いから、女には無理であった。



※硬輪子積  竹輪や古いロープの輪の中にボタを詰め込み、天井を支持すること。
※ナル木   成木。末口の小さい坑木。
※ボタコヅミ 硬子積。ボタを積み重ねて天井を支持すること。
※切羽    石炭採掘現場。
※クロガネ服 丈夫な防護服の意味か。

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