炭坑記録画の数々
坑内労働(仕繰)

柱の説明
昭和40年3月

明治から 筑豊とよぶ様になったのは人は知らず 私は大正になってからでそれは国鉄筑豊線があったからでもあるが 筑前―豊前と言うのも面倒だから いつとはなしに略したわけで、あろう。

狸柱はタヌキが化けないでも逆柱にしてカミサシをきめぬ、之を狸柱と言い小ヤマの人は嫌う、タヌキ柱の事はイカに老坑夫でも小ヤマで仂いた人でないと経験はないと思う。

炭丈スミタケ二㍍以上もあれば肩でかつぐが小ヤマは一般(に)低いから尻に持たせる。たとえ担げる高さはあっても かたにはあげぬくせがある。

柱の説明
 昔は天井落下を何より恐れていた、よって柱には特に神経を使うていた、カミサシ。又は(ヤ)のないボウズ柱は(荷)重圧がきた時パチパチと音を出さぬから嫌われていた。タヌキ柱はヤもない上に逆柱になっているから尚嫌われた、(根元が下はサカバシラ)カミサシがないと柱の処から喰い切って落ちることがある当りが、尠いからで。

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