炭坑記録画の数々
運搬(坑外)、選炭

万石での撰別
昭和40年1月

明治 時代 撰炭機のない頃小ヤマでも廿人以上坑夫のおる処にはマンゴクで塊炭と粉炭を撰別し 塊炭だけセンタン女(フ)がボタをえっていた、マンゴクは3"/4(六分丸)
又は5"/8(五分丸鉄)長十二呎あり(四、五分)間隔に竝べ巾六呎位で数個桟橋から取付けてある、それから運炭凾に掬いこみ、モヨリ積場に搬ぶ 遠近それぞれ 其頃鉄道貨車は八屯積であった、Y坑K坑S坑は馬車に七凾位曳かせていた 約三屯 忠隈炭坑は直接貨車に積こんでいたが明治三十年頃はマンゴクにかけた石炭をエビショウケですくいこんでいた。(マンゴクは六〇度位の傾斜)

坑内からあがった加工せぬ石炭はキリゴミと言う。

明治後期には簡単なチープラ(ダルマ)が登場した 又坑内にスラセのある処は横フタは使用されず 立フタと云う 上部につけ一吋丸鉄で後からハンドルを廻してフタを開く

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