炭坑記録画の数々
運搬(坑外)、選炭

南蛮 山野
昭和39~42年頃

山野 明治三十一年     ナンバで、芳雄、から山野、約六㌔ 
砂地の嘉麻川を水の少ない秋の頃エンヤラヤーと、曳きのぼせた三井山野のカマ(汽缶)六、七台。当時は鉄道も飯塚、碓井、大隈まで枝をのばしていたが稲築方面は音もきけなかった。明治三十五年には炭車だけの鉄道が上三緒より山野にも通じた。大正九年に漆生線に客汽動、その頃山野にも。)
(ボイラーとか汽缶とか言うのは識者だけで その頃の人はカマで通していた、間にはサユ沸しとかユゲ作りとかホケ製造器などと茶目る人もおった、川を昇したカマは皆(一本ジュウロー(方言))一個のフワーネスで低圧であった。
ソーリヤまけ、シッカリまけ、シヤンとまけ、マイテ トルノが
糸屋の娘だ、ホーラ マイター

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