炭坑記録画の数々
運搬(坑外)、選炭
太平洋戦争時中の出炭・増産
昭和40年8月
昭和
大平洋(第二次)戦時中筑豊のヤマは大小をとわず一生懸命(しにものぐるい)で出炭増産であった、中でも田川郡位登(当時猪位金村)、長尾坑は 百人余の小ヤマで月産五千屯、それで箇処が多く(キリハ)函ナグレに坑夫を悩ました。この解決策として昭和十八年六月九日より一ヶ月採鉱係員の若者岡部長善、中村靖氏を乗廻し棹取に変えた、これによってヤマの運搬関係員は大いにショックをうけ緊張し行動が活溌になって、戦時体勢になりハコナグレは解消した。七月頃から新に雇用した、中原某が乗廻して巧者な配函対策により好調した。小ヤマのハコナグレは一に乗廻し棹取の機転と頭にある事を知らされた。尤も桟橋棹取り等の意気健興にもよる。
小ヤマには坑口に屋根は昭和時代からである。坑口の化粧枠は中ヤマ以下にはない。大ヤマは煉瓦アーチもヤネも大正時代からあった、(小ヤマには天井保存のため単線マキタテが多い 複線は広くなるから)
単線巻立 コースもとに一函 むかい函がいる
捲放し 坑口に安全器必要。カラ函の逆走が多い
差戻し この式は安全
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