炭坑記録画の数々
運搬(坑外)、選炭

ボタ山とボタ函 スキップ
昭和40年10月

 昭和になって、ピラミッドの姿が筑豊のヤマにボツボツ現れた。炭坑の厄介者はボタ。昔は三井(は平うち)式で、ボタで低地を埋め平地を作り、納屋を建てたりして利用していたが、水選機ボタが多くなって山形になった。
その石炭が混じったボタやボイラーの煤カスなどが混入していたため、自然発火が激しい。これがまた大変。ある程度消さねば使えないようになる。峠まで送水して横溝を幾段も作り、火を抑える。一度燃え出せば、焼きつくすまで全消はできぬ。したがって、枕木スリッパや信号柱も、鉄材にせねば焼ける。
上は昭和の初め、日鉄稲築坑(大正八年始、昭和三十年より第二会社)のスキップである。鉄製で、高さ五フィート(約1.52m)、幅五フィート(約1.52m)、長さ六フィート(約1.83m)、三トン半積。両蓋は別々に開閉する。(車輪は径45センチ、軸は径10センチ)
レール(六〇ポンド:単位重量約27キロ)のゲージ(軌間)三フィート(約0.91m)。ヤマによっては、峠で自動式に蓋を開閉するシカケもあったが、ボタが多量に出るヤマは、故障がたくさん出て間にあわぬ。よって、峠に棹取(運搬夫)が一人おる。
最上部は百ポンド(単位重量約45㎏)十メートルのレールを二本上下に重ね、結合している。ホイール(シーブ:滑車)は径一メートルくらいある。レール延長の際は、木製鳥居形枠を上方に傾け、チンブルックで吊り上げて、(レールを)隙間に継ぎこむ。

ボタ山よ汝人生の如し 盛んなる時は肥え太りしに ヤマ止んで日々痩せ細り 或いは姿を消すもあり ああ憐れ悲しいかぎりなり


※スリッパ   軌条敷設用の枕木。
※スキップ   ボタ捲揚機。
※チンブルック チェーンブロック。重いものを吊り上げる移動式クレーン。

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