炭坑記録画の数々
災害、リンチ

岩粉散布
昭和40年5月

 岩粉散布(で使用する岩粉は)、世界一微細に粉砕した石の粉。日鉄稲築鉱も、大正末期まで炭塵とガス予防策として、切羽払いあとに散水(霧吹き)をしていたが、これは、(坑内)各所におびただしい配管(パイプ)と数名のキカイ夫が必要で、莫大な資本がいる。その上、作業も困難であった。
 昭和になって、(炭塵予防のために)岩粉を散布することになった。地下直2百㍍以上になると、切羽が乾燥して(石炭の)微粉(炭塵)の積りが多い。まして、サクガンキ(削岩機)を使用すれば、なおさらのことである。この点、小ヤマの浅層炭は、水が多くて足に水虫ができて、坑夫を悩ましているぐらいであった。(小ヤマは浅いので冷たい、大ヤマは深いので暑い)

 坑内の切羽で水分のない所を、すべてカラシキと言う。





※切羽払いあと  石炭を採掘した跡。
※キカイ夫    機械夫。機械の運転、修理等を担当する者。

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