炭坑記録画の数々
縁起、迷信、禁忌

ヤマと狐
昭和40年7月

ヤマと狐 明治
昔のヤマには狐憑つきが多かった。それを落す素人(しどうと)祈祷師も多かった。そのキトウ師は年マ(パイ)の女がなっておりヒマにまかせて朝夕仏様を拝んでおると(ノームクサンマイダ。などと) 近所の子供の虫ネツか。軽病を何かのハズミで癒してやると、さぁ大変ヤマ中の評判になり毎日信者が押かけてくる。免許もいらぬ得度もうけぬ、けれども本人は一人前のキトウ師になりすましている。こんなお婆さんがヤマには一人や二人位おった。重患になると職業にする祈祷師の来る事もあるがそれは滅多にない。     狐つき落しの実況はキトウシに神仏がノリウツリ正座して その前に患者を向合に坐らせ 目の高さに両合掌し御幣を挟んでおる。キトウシはのりと呪文を唱へると両手が震えてくる ゴヘイも踊る。キトウシは早く退散せよとせきたてる呪文も激しくなる。不動の金縛りにかけると脅かされるので最後に患者は立って表戸に向いゴヘイを頭上にあげニワに投捨ててはらばいに倒れる それで狐は落ちておる。(この狐おとしには祈祷師と狐憑との問答もあるが省く。)
小ヤマには医院もない処が多かった。ヨッテ神仏にスガル者はヤマ人にあらずとも信仰していた様である。 現今の関節炎 神径痛は昔の狐つきであったらしい、マラリヤ熱などモノのサワリと信じていたらしい。 其他死霊(シェリヨ)、生霊(イキリヨ)のタタリも多かった。

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