炭坑記録画の数々
縁起、迷信、禁忌

河童渕
昭和40年10月

明治三十二年それ以前から 河童渕(カッパフチ) (学説ではカッパはおらぬ事になっておる、昔人はおるときめていた。)

方言「ガッパグチ」飯塚市より穂波川(左 東)嘉麻川と分れ約三㌔で一本杵(カマ川)垣があり、それ より三百米位上にガッパグチがあった。昔の曲りくねった澱みの淄りで深い処は三米位あり、碧空色が水面に反射して海の様に靑かった。そよぐ風に土手の笹葉が流水に映りて踊る様に見える無気味な渕であった。それで子供も大人も水泳もしなかった関係で川魚がウヨウヨと棲んでいた。ヤマのおっさんだちはこれを見てヨダレ涎を流し、 どうして手に入れたかダイナマイトを投こんで一挙に大量の魚獲をせんと実行したが マイト漁で成功した人はなく皆失敗した 何故か――それはマイトを投こむ際 手から放れぬからであった。掴んでおる掌の中で発破するから 手首をとられ放れかけし者は指をとられ K坑だけでも五、六名おり他のヤマに移った人もおり十名以上カタワになっていた これはガッパの祟り と諒めていた。 マイトを水中に投こむと音をきいてエサかと魚が集ってくるがミチビが火を吹いておると八方に逃散する。よって短く短くするので手から放れぬうちに発破したのであろうか。トニカク摩訶不思議な渕であった 其他子供の溺死も十名以上あったと云う。この砂川も 明治四十一年より大正四年完成改良工事で曲りや澱みが滅し広くなって今は跡形もない。黒水化してガッパ処が メダカもおらぬ。蛇足 マイトを水中で爆発させると土手を揺かし地震の様である 時の官憲は火薬とともにマイト漁も厳しく取締っていたのである)
アンチャン(兄)ここはガッパが おるき エジイ(恐)き一本杵(ギ)に行って泳ごうや――。(漆生線)上三緒駅から西六百㍍にあった

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