炭坑記録画の数々
ヤマの訪問者

キセルの竿替え
昭和40年12月

『蛇足』明治三十七年から官製。専売局となり、それ以前ヤマでお見えする煙草は(キザミ)コクブ(国分)また三銭(五匁)天狗。巻たばこは(村井兄弟の)ヒーロー10本入、吸口添三銭五厘であった。(ルーナ、サンライスはヤマに見えず)(一方は明治四十年に定価改正、一、二銭以上あがって)
 キザミ福寿草五匁十四銭、白梅十銭、佐津き(サツキ)七銭、阿や免(アヤメ)六銭、はぎ五銭、なでし古(コ)三銭五厘。
巻莨。不二口付20本12銭、敷島10銭、大和9銭 朝日8銭、カメリヤ7銭。
両切。ゴールデンパット(10本)、5銭、(其他(二十本) ほまれ(五銭)、)梅ヶ香(百本三十五銭)、胡蝶(十本四銭)、ミカサ(10本25銭)、トーゴー(10 26銭)、ナイル(10 25銭)、オリエント(10 15銭)、スター(10 8銭)、チェリー(10 7銭)、リリー(10 5銭)、などあったと云うが ヤマ人は知らず 見らず すわずであった。

上三緒坑ハ 明治廿七年九月開坑 昭和四十年 閉坑

明治後期より大正中期 上三緒麻生炭坑に 毎日姿を見せる、煙管キセルの竿替ラガエおやぢさんがいた。60才位 この人はマンガラおぢさんと言う方が早わかりするのでラガエと 呼ぶものは おらなかった。ヤマ近くの木賃宿に常住する独身者であった。それは大正初め流行した。(ナンテ マンガイーンデセウ)のマンガイイをマンガラがヨカロウといつもニコニコ顔で口す(き)ざんでいるからであった。

~ 1 ハイカラハイカラと名はよいけれど 頭のまん中に(螺)ササエのツボ焼。ナンテ マンガイヽンデセウ
   2 はいからはいからと名はよいけれど 頭のまん中に溝があーる。同じ

この歌をマネたわけでヤマの人気者になっていた。
ヤマ人はニコチン禍を恑れキザミを皆すっており 莨入れとキセルに金をかけ自慢する者が多かった。

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