炭坑記録画の数々
ヤマの子どもたち
魚釣り
昭和39~42年頃
明治中期のヤマの子供、遠賀川上流。明治四十一年から嘉麻川(遠賀川上流の支流)の改修工事が始まり、大正になって(川の水が石炭のため)黒水化して、魚どころか生物は全滅した。それまでは川魚が豊富で、中でも砂川であるから、カマズコ、スナイモリとも言う(魚が)多かった。鯰、鰻、ドンポ、ギュギュなどは、かかれば釣り針を深く飲み込んでいるから、(針から離すのが)大変であった。浮魚では、ハエ、フナ、アユ、エビ、ハゼもいた。ギュギュは三本の鋭い針に悩まされた。
(絵の)兄はドジョウジョウケ(ザル)、弟はテコガイ(桶)(を持っているところ)。踏む足も焼ける盛夏、(子供は)学校から帰ると、本と弁当箱をかなぐり捨て、早速溝へ(向かう)。少しでも水のあるところには、魚がウヨウヨ泳いでいる。(子供が魚を捕まえて来るので)母は鍋を用意して持っていてよかった。フナ子(フナの幼魚)、ナマズゴ(ナマズの幼魚)、コモツツキ、ドジョウ、シビンタなど(を捕まえていた)。
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