炭坑記録画の数々
喧嘩、米騒動

ヤマの米騒動と其の後16
昭和40年8月
大正七年は悪の記録を二つも残した。米騒動と風邪である。いわゆるスペインカゼ、インフルエンザ。我が国では悪性感冒、流行性感冒と唱え、全国に広まったが、ヤマの密集住宅には特に猖獗(しょうけつ)を極め、倒れる者が多かった。S坑(麻生山内坑)は三百余名の小ヤマであったが、毎日平均一人(風邪にかかるのが)続いた。これは、全世界に流行し、地球を揺さぶった。大正七、八年の記録には、全世界の患者六億人、死者二千百万人、日本では患者二千三百万、死者三十九万人。
大正中期頃まで葬儀に花輪もあったが、弔旗が多かった。天蓋(てんがい)は棺の上の被りもので、逆に棺にのせる。竜頭(りゅうとう)や角灯を二ヶずつ、先頭に紙幟(かみのぼり)も二流(あった)。
ヤマの葬式で弔旗はヤマの顔役ほど数多く、軽輩(格下の者)には一本も立たない。
葬儀の翌日は、親族二人以上で会葬者を訪問御礼にまわる。葬式も夜、回礼も夜提灯をもっていく。昭和中期(十二年頃)より廃止。
大正八年初夏(五月)の頃、S坑で酒と心中した男がおった。ヤマの好景気で金が儲かるからであったが、力士のような体格で仕事も二人前すると噂で、酒豪でもあった。それが、(四斗樽)72㍑を七日間で呑み干し、八日目に昇天した。A某(匿名)はたらふく飲んで満酔、本望であったでしょう。当時一升一.八㍑が一円、上酒になると一升一円二十銭。日鉄購買会では(大正末)一・八㍑七十五銭もあった。
※猖獗 (好ましくないものが)はびこって勢いが盛んであること。
※天蓋 棺にかける装飾用の覆い。
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