炭坑記録画の数々
墨絵

ヤマの災禍とメチル酒の横行
昭和33~38年頃

 ヤマの災禍をいちいち拾いあげると際限はないがこれは別もの。

 昭和二十年十二月三日午后一時四十分頃、二坑右又卸二片払切羽にてマイト事故による負傷者五名を出した。一面数十発を爆発させ、暫くして切羽に接近した際、不発マイトが突然爆発したからであった。
 樋柴覚末松組の独身者で責任・井門渡二五歳は先頭にいたので顔面を吹かれ左眼を失うた。外に関、大矢、一安、内藤四名は何れも五日から十日位の爆傷ですんだ。
 終戦後、マイト不足で軍隊の残品が少量ずつお目見えしていた。導火線ミチビも十尺余りに切断してあり不良品であった。よって、点火後数分経っても爆発せぬ事が往々あった。不発は十五分待つ事になっておるが、共なりがあるので間違う。井門君は責任に昇格した直後の若手で幾分か焦り気もあったらしい。
 注 マイトは採炭切羽には台一本マシである(計二本)。ミチビニ尺五寸で二分間で火が通る。


 殺人魔メチール酒の横行
 昭和二十年十一月廿六日の夜、松本直こと本名・宮脇貞夫(四十余)が呑死した。其後、菊水春市、西岡の両名も冥土に旅立した。他に二、三人現世から姿は消さないが躰を毀した人もおる(失眼など)。尤も之は位登炭坑だけではなく、至る処でメチール魔に生命を奪われていた。倒れた三名は何れもヤマの精鋭坑夫で実に惜しまれた。体格抜群、腕力大、技術巧の宮脇は中等教育を享けており、若年時社会運動に加盟して身の置場なく所長に拾いあげられし、スイもアマイも噛わけし学者坑夫であった。
 しかし、酒に身を持崩していた事は勿論だが、一つは敗戦後のシコリを払うメチールのギセイになったのである。

<<前の記録画  次の記録画>>

<<前の10件 281282283284285286287|288|289290| 次の10件>>

288/306