炭坑記録画の数々
墨絵

ヤマの米騒動とその後(18)
昭和33~38年頃

ヤマの米騒動と其後

 石炭ブームの波に乗って筑豊の各ヤマは競うが如く護山の神を奉祀した。大山祇命、石炭の神・大庭主ノ命の両神をー(尤も三井系は廿年も前から稲荷神社が護山神であった)。
 つまり身の安全、ヤマの安泰を他力本願、神におすがりする。当時神国日本精神の発露であり表現である。
 大正八年の春から秋、何れのヤマも祭礼神楽で賑うた。此神々は猿田彦大神と天宇鈿女命の初対面の場か又は夫婦かための盃かであろう。何分猿田彦大神は鼻の長さ五尺又は六尺(一米八〇位)、身長二十メートル以上(七丈あったと云うから)、実体を現わすにはとても狭い紙には描けない。

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