炭坑記録画の数々
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昔のヤマ人(8)(のぞき1)
昭和33~38年頃

昔のヤマ人 のぞき

 望器か覗か覘かヤマ人はノゾキと云うていた。月に一度の公休日(交換日)、勘定日(切符が主である)には夫婦連の大形ものが登場し、小型の担いで来る一人弁士は平素でも訪れていた。硝子レンズの六十ミリ位の丸形が十個以上ついており(一回の見料大人二銭、小人一銭)、看板叩きと言う説明人は細竹一メートル位で上部の棚板を叩いて調子をつけ、踊るが如き姿勢で歌う。浪曲とおてもやんとチャンポンした様な節で、相の手に(切れ目)チョイトチョボを二、三回ずつ繰かえし大衆を煽りたてゝいた。
 看板絵は特に色彩も濃厚で美しく描いてあり、中絵は障子など光線を利用し十五枚又は廿枚位変化させる。現今の紙芝居より少し念がいっていた。絵画は新旧の劇ものもあるがヤマには生々しい現代の突発事件、残酷性の殺伐無惨なもの(場面)が歓迎されていたのは云うまでもない。
 左のノゾキは明治十二年六月二十七日(下相州)神奈川県大住郡真土村にて惹起した団体による強慾戸長一家皆殺しの絵である。

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