炭坑記録画の数々
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昔のヤマ人(9)(のぞき2 日清戦争)
昭和33~38年頃

日淸戦争、後いく年も過しに、原田重吉の門破りと言う詞は新しく国民の総てが寐ても起きても頭から離れぬ、標語的定説となっていた。三才の童子どころかヨチヨチ歩みの幼児でも、ジュキチのモンヤブリと片言でしゃべっていた。
詳しい事は戦史に残っておるから記す必要もないが(ツイデ一筆)明治廿七年九月十五日
朝鮮平壌の玄武門が厳固で破れぬヨッテ三村茂太郎中尉以下十六人決死隊が突入
先頭の原田重吉一等卆が身に数弾をうけ内部から銃尻を振うて敵を叩きたおし土ノウや石を取除けカンヌキをはずして扉をあけ味方を突進させた  その武勇その勲は富士の山より高かった。

当時の大砲では破門できなかったと云う

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