炭坑記録画の数々
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昔のヤマ人(13)(のぞき6 橘周太中佐)
昭和33~38年頃
日本軍死傷者壱万七千名敵数万人
明治丗七年八月廿五日より遼陽の総攻撃が始まった。我陸軍の(軍神)橘周太中佐は遼陽の心臓部 首山堡の敵陣に奮進し肉弾あい打つ鬼我の迫兵戦凄絶をきわめ。古詞通り此の世ながらの阿修羅場を現出しトッタリ、トラレタリ七回もくり返したと云う。橘中佐は右腕其他数ヶ所に敵弾をうけ血だるまとなって左手に軍刀を振い 数名の敵兵を切り仆し華々しき戦死であった。遼陽は九月七日に陥落し敵味方共開戦以来最大の死傷者を出した激戦であった。註軍神橘中佐は終戦後、特に高名であって戦争中は低調であり広瀬中佐が圧倒的評判であった。
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