軍国主義の日本を象徴した遊びが流行っていた明治時代
▲降参言わせごっこ
▲戦ごっこ
明治時代の男の子の遊びには、軍国主義で発展していこうとしていた日本を象徴している遊びがあります。
まず、「降参言わせごっこ」というものです。これは、当時の男子として降参することは死にまさる恥とされていたことからきているもので、相手に馬乗りになって、相手が降参というまで押さえ付けるのをやめないというものです。降参は最大の屈辱とみんなが思っているので、どんなに苦しくても自分は絶対に降参しない、相手に降参を言わせてやるという気持ちでしたから、なかなか決着はつかなかったようです。それで、学校でこの遊びをすると、授業が開始される合図があるまで続けられていたこともよくあったということです。
次が「戦(いくさ)ごっこ」です。これは、竹の棒をもって日清(明治27年)・日露(明治37年)の戦争をまねて二組にわかれて戦うものです。なかには子守のために幼い弟や妹を背中におぶって遊んでいた子どもいたようです。明治37、38年ごろに、敵の大将は戦の門出にアイウエオ。負けて頭をカキクケコ。腰に軍刀をサシスセソ。またもや白旗タチツテト。トコトットコトー。などと面白い歌をうたうラッパ節が流行しました。
▲地所とり
▲乗り馬
三番目が「地所とり」です。これは、ジャンケンをして勝った方が、あらかじめ地面に描いている範囲内に、釘や竹、木片などで波形の線を記していくというもので、自分のとった地所(波形の数)が多い方が勝ちになります。この時、毎回ごとのジャンケンに勝った方は、負けた方の手首にシッペをするというものです。
四番目が「乗り馬」です。これはジャンケンをして勝った方が、負けた方(目をふせて前かがみになっている)の背中にまたがって、何本かの指を出して「シカシカ何本?」と尋ねます。馬になっている子どもが答えた本数が正解するまで交代しないという遊びです。
当時の子どもたちの間では、男女が一緒に遊ぶことを嫌う風潮があったということですが、小炭坑に生活する子どもたちは、人数が少ないこともあって、他の地域の子どもたちよりも男女が一緒に遊ぶことも多かったようです。