絵師・山本作兵衛
山本作兵衛:年譜
明治25年 | 1892 | 0歳 | 5月 | 福岡県嘉麻郡(後の嘉穂郡)笠松村鶴三緒1302番地(現・飯塚市)で、父・福太郎、母・シナの次男として出生(17日)。父・福太郎の家業は遠賀川の川舟船頭であった。 |
明治31年 | 1898 | 6歳 | 4月 | 立岩尋常小学校入学。 |
明治32年 | 1899 | 7歳 | 5月 | 石炭の鉄道輸送開始に伴って仕事量の減りつつあった川舟船頭の職を捨てた父につれられ、一家で上三緒炭坑に移住。 |
8月 | この頃から、兄と共に炭坑の仕事を手伝うようになる。 | |||
明治33年 | 1900 | 8歳 | 3月 | 弟・春吾生まれる。その初節句の際に貰った加藤清正の人形を繰り返し写生。 |
明治34年 | 1901 | 9歳 | 夏 | 大病する。 |
― | この年、一家で忠隈坑に移る。1ヶ月で南尾坑に転坑。 | |||
明治35年 | 1902 | 10歳 | ― | この年、一家で豆田坑、上三緒坑に転坑。 |
明治36年 | 1903 | 11歳 | 1月 | 弟・春吾没。 |
2月 | 弟・倉之助生まれる。 | |||
3月 | 立岩尋常小学校卒業。 | |||
4月 | 飯塚高等小学校入学。 | |||
7月 | 同校中退。在学中に、図画の課題で帽子を写生し、先生にほめられる。 | |||
― | この頃、粗末な西洋紙で源平合戦などの絵本を作る。それを近所の子供に売って、画材や食物を買う。 | |||
明治37年 | 1904 | 12歳 | 2月 | 父の病気により、一家で山野炭坑に転坑。この頃眼病に悩まされる。 |
4月 | 一家で南尾坑に転坑。 | |||
5月 | 南尾坑の閉山に伴い、一家で山内坑へ転坑。 | |||
6月 | 鶴嘴鍛冶に5年契約で弟子入りする。 | |||
― | この頃、日露戦争の絵を頻繁に描く。 | |||
明治39年 | 1906 | 14歳 | 4月 | 鶴嘴鍛冶を離れる。 |
6月 | 山内坑に父や兄と共に入坑、坑夫の後山としてスラを曳く。 | |||
この頃、仕事を終えると、神田伯龍、玉田秀斎、旭南■、村井玄斎、村上浪六などの講談小説を読んでは、合戦場面等を空想して絵にすることが日課となる。 ■=こざとへん+尞 |
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秋 | 飯塚金比羅山で運動の絵を描く。 | |||
明治40年 | 1907 | 15歳 | ― | 弟・兵次郎生まれる。 |
― | 博多の絵師から弟子にと誘われるが断る。 | |||
明治41年 | 1908 | 16歳 | ― | この年、山内坑で先山となる。 |
― | この年、単身で古河下山田坑、金剛坑、長谷坑を経て綱分坑に転坑、採炭夫として働く。 | |||
明治42年 | 1909 | 17歳 | 2月 | 絵描きになるべく福岡市下新川端町のペンキ屋「ペン梅」に弟子入りし、暇あるごとに絵を描く。しかし、父の病気でやむなく山内坑に戻り、先山となる。 |
明治44年 | 1911 | 19歳 | 2月 | 一家で上三緒炭坑に転坑、父が納屋頭となる。 |
明治45年/ | 1912 | 20歳 | 5月 | 徴兵検査を受けるが、難聴などの理由で徴兵を免除される。 |
大正元年 | 11月 | 九州管理局鉄道小倉工場に2年間の期限付契約で鍛冶工見習として就職、小倉市西鍛治町51番地に住む。 以降、炭坑に戻るまでの間に、鍛冶工の技術と漢字の読み書きをノートに筆写して覚える。 |
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大正2年 | 1913 | 21歳 | 3月 | 大阪に行く。 |
4月 | 足立山、妙見山(北九州市)に登山。 | |||
5月 | 菅生の滝(北九州市)を見物。 | |||
7月 | 福岡に戻る。 | |||
8月 | 小倉市西魚町42番地に転居。 | |||
大正3年 | 1914 | 22歳 | 1月 | 小倉市外の西原町に転居。 |
3月 | 博多と太宰府にて遊ぶ。 | |||
8月 | 疲労と怪我により実家に帰省する。 | |||
11月 | 小倉市堺町2丁目に転居。 | |||
大正4年 | 1915 | 23歳 | 1月 | 九州管理局小倉工場を退職。 |
3月 | 八幡製鉄所工作科に鍛冶工として就職するが、6日間で退職。 上三緒坑の親元に戻り、仕繰夫となる。当時は父と兄が大納屋を経営していたが、兄は仕繰方としても働いていたため、その後山となった。しかし実際に働いたのは月の半分くらいであったという。 |
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大正5年 | 1916 | 24歳 | 1月 | 水町タツノと結婚、1年間禁酒する。 |
3月 | 麻生赤坂炭坑に転坑、機械鍛冶工となる。 | |||
7月 | 赤坂炭坑に転坑、夫婦で初めて所帯を持つ。 | |||
大正6年 | 1917 | 25歳 | 3月 | 愛宕神社(飯塚)に参拝する。 |
神之浦炭坑に転坑、鍛冶工となる。 | ||||
5月 | 父に迎えられて上三緒坑に転坑、坑外修繕方の後山となる。 | |||
8月 | 綱分炭坑に転坑、火夫や鍛冶工として働く。 | |||
11月 | 山内炭坑に転坑、鍛冶工となる。 | |||
大正7年 | 1918 | 26歳 | 3月 | 長子・ハツ子出生(6月死去)。 |
7月 | 椋本坑に転坑、鍛冶工の横座となる。 | |||
8月 | 飯塚坑大徳三尺二坑に転坑、鍛冶工の横座となる。 | |||
9月 | 山内坑職長の招きで山内坑に転坑、鍛冶工となる。 米騒動に加担したとの理由で、兄・五郎が3ヶ月検束される。 |
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大正8年 | 1919 | 27歳 | 6月 | 長女・ハル子出生。 |
大正11年 | 1922 | 30歳 | 2月 | 製鉄所二瀬中央坑に転坑、鍛冶工となる。 |
3月 | 長男・光出生。 | |||
6月 | 山内坑に転坑、鍛冶工の横座となる。 | |||
11月 | 赤坂坑に転坑、採炭夫となる。 | |||
12月 | 製鉄所(昭和9年より日鉄)二瀬出張所稲築坑に転坑、鍛冶工となる。 | |||
大正13年 | 1924 | 32歳 | 9月 | 次男・大吾出生。 |
昭和3年 | 1928 | 36歳 | 2月 | 次女・ミネ出生。 |
昭和5年 | 1930 | 38歳 | 2月 | 三女・富美出生。 |
昭和6年 | 1931 | 39歳 | 1月 | 母・シナ没。 |
昭和9年 | 1934 | 42歳 | 4月 | 禁酒会稲築支部の会員として福岡市の大会に参加。 |
12月 | 父・福太郎没。 | |||
昭和10年 | 1935 | 43歳 | 7月 | 第8回全国安全週間ポスターコンクールで入選。 |
10月 | 三男・照雄出生。 | |||
昭和11年 | 1936 | 44歳 | 7月 | 第9回全国安全週間ポスターコンクールに出品? |
昭和12年 | 1937 | 45歳 | 4月 | 甥が満州に行く際、40×90㎝の絵(山水画?)を1枚贈る。 |
昭和15年 | 1940 | 48歳 | 9月 | 日鉄二瀬出張所稲築坑を退職。 |
田川郡猪位金村(現・田川市)の長尾鉱業所位登炭坑に転坑、採炭係となる。 | ||||
昭和17年 | 1942 | 50歳 | 10月 | 博多で戦争展?を観覧。 |
昭和18年 | 1943 | 51歳 | 9月 | 位登長尾坑741番地に転居。 |
昭和20年 | 1945 | 53歳 | 5月 | 長男・光、戦死。 |
昭和23年 | 1948 | 56歳 | 10月 | 兄・五郎没。 |
昭和27年 | 1952 | 60歳 | 春? | 丙方(夜勤)の非番を利用して、原稿用紙約1500枚に炭坑の記録文を書くが、周囲の嘲笑にあい焼却処分にする。 |
8月 | 再度、大学ノートに炭坑の記録文を書く(29年11月まで)。 | |||
昭和30年 | 1955 | 63歳 | 1月 | 位登炭坑閉山に伴い解雇される。資材警備員となる。 |
昭和32年 | 1957 | 65歳 | 2月 | 弓削田長尾本事務所の宿直警備員となる。 |
― | この年から時間にゆとりができ、どうしても戦死した長男のことが頭に浮かんで消えないため、気を紛らわすために日記の余白部分や広告紙の裏などに炭坑の絵を描くようになる。 | |||
昭和33年 | 1958 | 66歳 | 5月 | 炭坑の記録画を画用紙と墨で描くようになる(38年まで。35年は体調不良のため中断)。 |
昭和34年 | 1959 | 67歳 | 9月 | 田川市遺族靖国神社参拝第2団に参加、関東関西を観光する。 |
昭和36年 | 1961 | 69歳 | 6月 | 長崎旅行。 |
冬 | 長尾達生、山本務が作兵衛画を発見、出版化の計画が進む。 | |||
昭和37年 | 1962 | 70歳 | 1月 | 朝日新聞に記事が掲載され、はじめてマスコミで作品が取り上げられる。 |
2月 | RKBテレビ「婦人ニュース」に出演。 | |||
出版打ち合わせ会が開かれる。 | ||||
この頃、永末十四雄と出会う。 | ||||
5月 | KBCテレビ「遠賀川」で、作品10点が紹介される。 | |||
昭和38年 | 1963 | 71歳 | 3月 | 田川市西区弓削田に転居。 |
9月 | 『明治大正炭坑絵巻』(明治大正炭坑絵巻刊行会)出版。 | |||
秋吉台に遊ぶ。 | ||||
10月 | NHKテレビ「教養特集―筑豊百年」で作品が紹介される。 | |||
11月 | 田川市市制施行20周年記念式で表彰される。 | |||
昭和39年 | 1964 | 72歳 | 1月 | 長尾本事務所を退職。 |
3月 | 交通事故に遭う。 | |||
春 | この頃、上野英信、菊畑茂久馬と出会う。 | |||
5月 | フランスの鉱山学会誌5月号と6月号が作兵衛画を表紙に採用する。 | |||
6月 | 交通事故の影響により頭部内出血を起こし、田川市立病院で手術を受ける。 | |||
11月 | 6月より始まった「炭坑資料を集める運動」(田川郷土研究会)に共鳴して、水彩の炭坑画を2日に1枚のペースで描き始める(42年頃まで)。 | |||
昭和40年 | 1965 | 73歳 | 4月 | 田川市立図書館に水彩画60点を寄贈する。 |
10月 | 初個展「山本作兵衛炭鉱絵画展」を開催(主催 田川市立図書館・田川郷土研究会、会場 田川市中央公民館)。水彩画は後に1括して田川市立図書館に寄贈。 | |||
11月 | 田川市教育功労者賞受賞。 | |||
昭和42年 | 1967 | 75歳 | 2月 | 山本作兵衛の人と芸術を紹介したNHK教育テレビ「特別番組 ある人生―ボタ山よ」放映。 |
3月 | RKBテレビ「婦人ニュース」に出演。 | |||
10月 | 『画文集 炭鉱に生きる―地の底の人生記録』(講談社)出版。 | |||
「明治百年炭鉱懐古展」に出品(主催・会場 田川市立図書館)。 | ||||
11月 | 勲六等瑞宝章受章。 「山本作兵衛展」を開催(飯塚市元野木書店)。 上京。NETテレビ「モーニングショー」に出演。 KBCテレビ「ティータイムショー」に出演。 『炭鉱に生きる』出版記念会が田川市豊泉閣で開催。 |
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昭和43年 | 1968 | 76歳 | 2月 | 「明治大正 炭鉱絵巻展 ―山本作兵衛翁によるヤマの生活記録―」を開催(主催・会場 福岡県文化会館)。 |
RKBテレビ「RKBリビングショー」に出演。 | ||||
9月 | 別府に遊ぶ。 | |||
10月 | 「町のあゆみと炭坑のうつり変わり展」に出品(主催 川崎町、会場 川崎町中央公民館)。 | |||
昭和44年 | 1969 | 77歳 | 1月 | 「炭鉱美術展」に出品(主催 西日本新聞社、会場 飯塚井筒屋)。 |
4月 | KBCテレビ「ティータイムショー」に出演。 NETテレビ「モーニングショー」に出演。 |
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10月 | 飯塚市に作品を寄贈する。 | |||
12月 | NHKラジオ第1放送「朝のロータリー 20人に聞く」に出演。 | |||
昭和45年 | 1970 | 78歳 | 4月 | 現代思潮社美学校の菊畑茂久馬教場にて山本作兵衛炭坑画の模写が行われる(46年3月まで、全9点)。 |
10月 | 「筑豊炭鉱風俗絵巻展」を開催(主催 宇部市石炭記念館建設準備室、会場 宇部市大和)。 | |||
昭和46年 | 1971 | 79歳 | 5月 | 軍艦羽黒慰霊碑除幕式に出席(佐世保海軍基地)。 |
「山本作兵衛炭鉱画模写大壁画展」を開催(主催 現代思潮社美学校、会場芸術生活画廊)。 | ||||
11月 | 「山本作兵衛炭鉱画模写大壁画展」を開催(主催 現代思潮社美学校、会場福岡県文化会館)。 | |||
昭和47年 | 1972 | 80歳 | 9月 | 朝日新聞夕刊に連載された上野英信「流域紀行・遠賀川」に挿絵10点が掲載される。 |
― | この年、8㎜フィルムの山本作兵衛記録映画(刈屋正士撮影)が製作される。 | |||
昭和48年 | 1973 | 81歳 | 1月 | 『筑豊炭坑絵巻』(葦書房)出版。 RKBテレビ「奥さん集合 10時はあーん」に出演。 |
2月 | 『筑豊炭坑絵巻』出版記念会開催(福岡市、ホテルタカクラ)。 | |||
6月 | 「山本作兵衛展」を開催(主催・会場 田川市立図書館)。 | |||
8月 | RKBテレビ「テレビ・ルポルタージュ まっ暗やみでござんす」に出演。 | |||
9月 | 南九州旅行。 | |||
11月 | 田川市市制30周年記念式で表彰される。 | |||
12月 | 「全九州水平社創立50周年 福岡連隊事件を語る会」(飯塚市)に出席。 | |||
昭和49年 | 1974 | 82歳 | 3月 | 下関に遊ぶ。 |
4月 | 南九州旅行。 | |||
夏 | 山本作兵衛炭坑画模写大壁画9点が田川市立図書館に寄贈される。 | |||
昭和50年 | 1975 | 83歳 | 3月 | 田川市文化功労者受賞。 |
― | この年、川崎町に作品を寄贈する。 | |||
昭和51年 | 1976 | 84歳 | 1月 | 結婚60周年祝賀会が上野英信主催により開かれる。 |
2月 | 北九州市立歴史博物館の依頼により「炭坑風俗図」2点を制作、同館へ寄贈する(依頼は前年)。 | |||
3月 | 福岡城跡にて遊ぶ。 大分県岡城跡にて遊ぶ。 |
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4月 | 福岡県20市長会議が田川で開催されるにあたり、田川市の依頼により記念品用の絵を20枚描く。 | |||
― | この年、香春町に「筑豊炭田絵巻」を寄贈する。 | |||
昭和52年 | 1977 | 85歳 | 4月 | 葦書房のために随筆「博多ペン梅の4日間」を書く(未発行)。 |
5月 | 永年住み慣れた田川市上弓削田1744番地の土地建物を所有者より購入する。 | |||
7月 | 『筑豊炭坑絵巻 上 ヤマの仕事』、『筑豊炭坑絵巻 下 ヤマの暮らし』(ぱぴるす文庫)出版。 | |||
8月 | NHKテレビ「話題の窓」に出演、放送中に「坐り掘り」を描く。 | |||
9月 | TNCテレビ西日本「ドキュメント日本人 川筋画家1代 山本作兵衛」放映。 | |||
11月 | 第36回西日本文化賞(社会文化部門)受賞。 FM福岡「西日本ホームジャーナル」に出演。 |
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昭和53年 | 1978 | 86歳 | 3月 | KBCテレビ「奥さん!ほッとスタジオ」に出演。 |
10月 | NHKテレビ「新日本紀行 炭坑節」に出演。 | |||
昭和54年 | 1979 | 87歳 | 8月 | 田川市石炭資料館建設専門委員会委員となる。 |
9月 | 田川市立図書館所蔵の作兵衛画が昭和55年度に開館する田川市石炭資料館の建設準備室に管理替えされる。 | |||
11月 | 第31回全国同和教育研究大会のポスター画に「スラをひく後山」が採用される。会期中には会場内で個展も開催される。 | |||
昭和55年 | 1980 | 88歳 | 2月 | 「山本作兵衛 筑豊炭坑画展」を開催、約30点展示(会場 福岡天神アートサロン)。 「米寿記念 山本作兵衛画業展」を開催(会場 飯塚井筒屋)。 |
5月 | RKBテレビ「'80話そう! わたしの筑豊 過去・現在・未来」に出演。 | |||
TBSテレビ「クローズアップ日本」に出演。 米寿祝賀会が開催される。 |
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7月 | 弟・倉之助没。 | |||
8月 | 朝日新聞社に依頼され高校野球の絵を2枚描く。 | |||
10月 | 読売テレビ「遠くへ行きたい」に出演。 | |||
昭和56年 | 1981 | 89歳 | 昭和56年用「山本作兵衛絵暦」(第1印刷)が完成。 | |
2月 | 『王国と闇 山本作兵衛炭坑画集』(葦書房)出版。 『王国と闇』出版記念会開催。 |
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春 | この頃から心臓を悪くし、制作を中断することが多くなる。 | |||
7月 | 「山本作兵衛 筑豊炭坑画原画展」を開催(主催 石川書店、会場 田川商連ビル3階ギャラリー)。 | |||
11月 | 福岡県教育文化功労者受賞。 昭和57年用「山本作兵衛絵暦」(第1印刷)が発売される。 この頃、心臓の具合が悪化し入院するが2週間ほどして退院する。 |
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昭和57年 | 1982 | 90歳 | 7月 | 千田梅二、うえだひろしと「川筋下罪人三人衆展」を開催(会場 西日本書店美術部 西美ギャラリー)。 |
12月 | 「山本作兵衛絵暦」(第1印刷)が昨年に引き続き発売される。 | |||
昭和59年 | 1984 | 92歳 | 2月 | NHK教育テレビ「日曜美術館 美と風土・絵筆で記録する筑豊 火床の画家たち」に出演。 |
4月 | 「山本作兵衛作品展」を開催(主催・会場 西日本銀行田川支店)。 | |||
7月 | テレビ朝日の番組に出演。 | |||
8月 | NHK教育テレビ「高等学校夏期講座 1冊にみる人生」に出演。 | |||
10月 | 体調を崩し寝込む。 | |||
12月 | 19日、三男照雄宅にて老衰のため逝去。田川氏の慈光寺にて告別式、飯塚市の鶴三緒墓地に埋葬される。 | |||
昭和60年 | 1985 | 8月 | 「山本作兵衛翁遺作展」開催(主催 田川市、会場 田川市石炭資料館)。 | |
11月 | 「山本作兵衛翁の生涯と画業展」開催(主催 記念祭実行委員会、会場 飯塚市菰田公民館)。 「山本作兵衛翁記念祭」開催(主催 記念祭実行委員会、会場 嘉穂劇場)。 「山本作兵衛翁炭坑絵展」開催(会場 川崎町吉原公民館)。 『オロシ底から吹いてくる風は 山本作兵衛追悼録』(葦書房)出版。 |
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昭和61年 | 1986 | 10月 | 「山本作兵衛 炭坑絵巻展」開催(主催・会場 赤坂・ギャラリー内村)。 | |
昭和63年 | 1988 | 5月 | 田川市石炭資料館に山本作兵衛常設展示コーナーが設置される。 | |
6月 | 妻・タツノ没。 | |||
8月 | 「炭鉱生活展」に出品(主催・会場 田川市石炭資料館)。 | |||
平成2年 | 1990 | 3月 | 田川市石炭資料館所蔵の作品がドイツ鉱山博物館の企画展に出品される。 | |
12月 | 「炭坑絵巻展」開催(主催・会場 宮田町かっぱ村)。 | |||
平成3年 | 1991 | 11月 | 「開館記念 筑豊ゆかりの作家たち展」に出品(主催・会場 田川市美術館)。 | |
平成4年 | 1992 | 4月 | 墨画299点が遺族より田川市石炭資料館に寄贈される。 | |
10月 | 「田川市石炭資料館開館10周年特別展 絵と文で綴った炭坑の記録 ―山本作兵衛生誕100年記念―」開催(主催・会場 田川市石炭資料館)。 | |||
11月 | 「特別展 山本作兵衛原画展 絵で見る炭鉱のくらし」に出品(主催 穂波町教育委員会、会場 穂波町郷土資料館)。 | |||
平成5年 | 1993 | 10月 | 「ヤマの記録者たち」に出品(主催・会場 鞍手町歴史民俗資料館)。 | |
水彩画75点が碓井町に所蔵される。 | ||||
平成6年 | 1994 | 9月 | 「炭坑をしのぶ写真展」に出品(主催 個人、会場 直方市中央公民館)。 | |
「炭坑の町穂波 写真でしのぶ炭坑展」に出品(主催 穂波町教育委員会、会場穂波町郷土資料館)。 | ||||
平成8年 | 1996 | 7月 | 「山本作兵衛展」開催(主催・会場 碓井町立琴平文化館)。 田川市石炭資料館所蔵の作品571点が福岡県有形民俗文化財に指定される。 |
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10月 | 「開館5周年記念 山本作兵衛展」開催(主催・会場 田川市美術館)。 | |||
4月 | 福岡県立大学内の山本作兵衛を《読む》会にて日記の解読開始 | |||
平成10年 | 1998 | 7月 | 『筑豊炭坑絵物語』(葦書房)出版。 | |
平成12年 | 2000 | 4月 | 「山本作兵衛展 ヤマの仕事編」開催(主催・会場 碓井町立織田廣喜美術館)。 | |
12月 | 「山本作兵衛展 ヤマの暮らし編」開催(主催・会場 碓井町立織田廣喜美術館)。 | |||
平成13年 | 2001 | 1月 | 「筑豊炭坑絵図 山本作兵衛展 〜ヤマの生活〜」開催(主催・会場 夕張市美術館)。 | |
4月 | 「山本作兵衛 ヤマに生きる」開催(主催・会場 碓井町立織田廣喜美術館)。 | |||
平成14年 | 2002 | 1月 | 「開館10周年自主企画展 描かれた〈筑豊〉」に、田川市立図書館所蔵の模写壁画3点を出品(主催・会場 田川市美術館)。 | |
4月 | 福岡県指定有形民俗文化財に寄贈分13点が追加指定される。 福岡県立大学内の「山本作兵衛を〈読む〉会」にて日記の解読開始。 |
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平成15年 | 2003 | 2月 | 「九州力 - 世界美術としての九州展」(主催 熊本市他、会場 熊本市現代美術館)に田川市立図書館所蔵の模写壁画7点が出品される。 | |
平成16年 | 2004 | 10月 | 「第19回国民文化祭・ふくおか2004 炭坑のある風景展」に出品(主催・会場 田川市美術館)。 | |
平成17年 | 2005 | 10月 | 「炭坑と画家I ここにヤマがあった」に出品(主催・会場 田川市美術館)。 | |
平成18年 | 2006 | 3月 | 「ミニ企画展 ヤマのひととき」に出品(主催・会場 田川市石炭・歴史博物館)。 | |
平成19年 | 2007 | 11月 | 第2回TAGAWAコールマインフェスティバルにて関連作品展を開催(主催 山本作兵衛を〈読む〉会、会場 田川少年文化ホール)。 | |
平成20年 | 2008 | 7月 | 「木屋瀬と石炭展」に出品(主催・会場 北九州市立長崎街道木屋瀬宿記念館)。 | |
11月 | 「炭坑の語り部・山本作兵衛の世界 〜584の物語〜」開催(主催・会場 田川市石炭・歴史博物館、田川市美術館)。 |